★ 涼宮ハルヒの憂鬱、テレビ最終回を見ました。
地上波のアニメでここまで引き込まれたのはエヴァンゲリオン以来です。
エヴァが今年10周年ですから、私の中ではまさに地上波10年ぶりの名作と言えます。
(個人的にOVAや映画は割と好きな作品があるのだけど地上波はイマイチ続きだったもので・・・)
10年前、エヴァンゲリオンの地上波第一話を見て「これは凄いぞ!」とすんなりハマったものの、後半に入って勢いが失速・・・最後に「おめでとう」で激しい残尿感(としか言いようがない)を感じたわけで・・・それでもエヴァは好きでした。スッキリ感を求め続編の映画に期待するも結局モヤモヤ。エヴァは大好きだけど終わりに関してはあまり触れたくない・・・一種のコンプレックスです。
その点、涼宮ハルヒの憂鬱は終盤にさしかかっても勢いが衰えませんでした。
特に学園祭放送後は皆その「デキ」の良さに興奮し検証サイトが乱立、失速するどころかむしろ加速した勢いです。
★ 本当の最終回
当初、口コミで「話の順序をシャッフルして放送、すでに最終回が放送された」という情報を耳にして、時系列が一番遅い冬の話を「これが最終回なのか?」と何度も見直したのですが、終わり方がものすごく普通というか、最終回にしては普遍的すぎて陳腐というか・・・納得いかなかったんですよ。
で、待ちに待ったテレビの最終回はもうホント、終わり方スッキリ!爽快!です。
当時15歳だったので細かい製作の背景はよく知らないのですが、エヴァは庵野監督が壊れてしまったのが失速の原因と聞いています・・・(本当ですか?)素晴らしい作品の最後がグダグダだった事で評価が暴落したもったいないエヴァンゲリオン。(非常に残念)
一方、涼宮ハルヒの憂鬱は既に原作があり、もちろん終わりも決まってます。
でも原作の終わり方はイマイチ。
そこで!本来最終回である話を事前に放送してしまう事で最終回としての役割を潰し、最後に力の強いストーリーを持ってくることでラストの失速を防ぎ、最終回にちゃんと盛り上げてちゃんとまとめる。その結果!!
「シャッフルする事でエヴァンゲリオン・コンプレックスを克服した」涼宮ハルヒの憂鬱は最後まで爽快に走り抜けた!!
そして、私にとってこの10年で最強のアニメが完結。(原作は続いているけれど)
涼宮ハルヒの憂鬱の魅力は、初回から地方局オンリーとは思えない至極のクオリティ(しかもそのレベルがずーっと落ちない)やネット上のマーケティングが時代にマッチングしていた事(byみたいもん)、また、従来の「綾波キャラ」に分類されたアンドロイド型ジャンルの長門ユキが、割と自分の意思で動いたり話したりするところに可愛らしさを感じる事(しかしそれは「一見意思があるように見えさせる」ものだ、と知人に指摘されました)など、この作品の良さを語ると話は尽きないわけですが、何よりも最終回に裏切らないでくれた事が私にとって最も嬉しかった。(エヴァンゲリオン・コンプレックスとは私の心の中の問題ですから。)
ああ、でもYoutubeで見ればいいやってのは頷けない、あれ画質ボロボロでディテールが全然見れないのですごくストレスたまる!DVD買いましょうorレンタルを待ちましょう(争奪戦が起きそう・・・)!アニマックスとかで再放送されればいいのに。
★ 確かにハルヒは超優秀作品ではあるけれど、エヴァほどの中毒性はない。
そういえばエヴァンゲリオンで思い出しましたが、1週間ほど前、3月に注文したエヴァ公式制服がやっと届きました。4月中旬納品が伸びに伸びて6月下旬です。遅いよGAINAX・・・。(涙)
でも10周年記念という事もあって気に入ってます。
これまでエヴァにはさんざん失望させられているのに、それでもずっと好きでいられるのは失速前の得点が驚異的に高かったからだと思わされます。
(そしてエンディングが受け入れられず、永遠に自分の中で話を終了できない。という理由もまた・・・)
ハルヒは失敗が少なかった分だけ総合的にずーっと高得点。
ただ、綺麗にまとまってしまった分だけ10年先にまだ大好きでいるかどうかはわからない。
ナデシコみたいな一過性のブームのような気がせんでもない・・・。
後に「これはハルヒの」と語り継がれる技法がどれだけ残るのか次第?シャッフルは影響ありそう。
(追記)★ ビューティフル・ドリーマー
・“古典的名作「うる星やつら2~ビューティフル・ドリーマー~」と同じプロットを用いているから(by小鳥ピヨピヨ)”
あああ、そうそう、確かにビューティフルドリーマーだ!
結局この作品って、過去の名作アニメをまとめた集大成という感じ。過去のインスパイアは構わないのだけど、名作の技法を盛り込みすぎて何かオリジナリティに欠けてしまうというか・・・。
とにかく職人の技術は本当に凄いのだけど、どことなく味わい深さに欠けるような・・・。
難しい話です。
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<< 追記が書ききれないので別でエントリしなおしました。 >>
追記・ハルヒの構成とか、エヴァコンプレックスの話とか
http://www.hinalog.com/blog/2006/07/post_4.html
追記2・エヴァ派によるハルヒ支持派バッシングがすごいのでちょっと書いた
http://www.hinalog.com/blog/2006/07/post_12.html
気付けば放送終了後1時間みっちり書いてたっぽい、落ち着け私!!!!(笑)
アニメの構成最終話は原作者の書き下ろしですよ。
いわゆる「SOS団の非日常的な日常」を描きたかったのかと。
私としてはあの最終話はアリです。
なるほど!書き下ろし!!!
要するに、四の五の言わずに原作を読めって事ですね(^^;
アニメが終わったので原作をガマンする必要もないし本屋行って来ます。
私もアニメ最終話はとても好きです。
原作の最後は・・・?とりあえず読んでみますね!(>_なるほど!書き下ろし!!!
要するに、四の五の言わずに原作を読めって事ですね(^^;
アニメが終わったので原作をガマンする必要もないし本屋行って来ます。
私もアニメ最終話はとても好きです。
原作の最後は・・・?とりあえず読んでみますね!(>_
>長門ユキが、割と自分の意思で動いたり話したりするところに可愛らしさを感じる事(しかしそれは「一見意思があるように見えさせる」ものだ、と知人に指摘されました)
この知人の指摘は間違いで、この作品の核は登場人物達の成長、変化です。
長門はその中でも成長が顕著で(というか分かり易く)、それは「自意識の確立」という事になります。
このエントリーを書かれてから時間が経っているので、すでに原作を読まれたものと思いますが、
初めは感情に乏しくロボット的でさえある長門がSOS団と(特にキョンと)触れ合う事で、次第に感情を獲得し自らの意思で行動するようになりますよね。
「憂鬱」の中盤でオセロに興味を持ったり、終盤での「また図書館に」などもそうですが、中でも長門の変化が伺えるのは、また襲われるのかと聞かれた時の「私がさせない」です。
ヒューマノイドインターフェイスである「私」ではなく長門有希という「私」を確立させ、その自意識の下に「させない」という強い明確な意思で応える。
この言葉は自意識のない操り人形からは絶対に生まれないものです。
こうした「成長」は形を変えてはいるもののSOS団全員に共通しています。
唯一みくるだけは取り残されていますが、「成長」の種は植えてあるので、今後どのように芽吹くのか楽しみですね。