数年間悩み続けて辿り着いた、自己表現と自己愛の危うさについて

かれこれ数年間に渡って、人間関係に悩んでいます。


絶交するでもなく、和解するでもなく。距離を置いているから、お互いに胸の内を語る場もなく。パーティーで顔を会わせるたびに微妙な空気感に震えて、帰宅後にうずくまって悩んで。時には泣いて。

その間ずっと、私は「何故私はこんなに息苦しいんだろう?私はあの人が好きなのか嫌いなのかどっちなんだろう?あの人も私の事が好きなのか嫌いなのかどっちなんだろう?具体的にどこが好きでどこが嫌いなんだろう?」と様々な感情と向き合っていました。ずっとずっと。

そうしていろいろな人に悩みを打ち明けたり、時には違うジャンルの友達から逆に悩みを相談されたり・・・と、いろいろな話を重ね合わせていくうちに、最近ある共通した答えに辿り着きました。


それは、


自己表現をする場で、過剰な「自己愛」が、他の誰かを傷つけている。


という答えでした。


自己愛・・・要するに「自分が大好き」

この感情が行き過ぎると「自分が絶対に一番の存在だ」と思うようになって、更にひどい状態になると「自分以外は馬鹿」という思考になってしまう事。


この行き過ぎた感情に、多くの人が振り回されているんだ・・・という事に気付きました。


[1.過信] [2.自信] [3.謙虚] [4.自信喪失] [5.自暴自棄]

この項目の中で、自分が今どこに居て、本当は今どこに居るべきか。それをちゃんと自覚できていない事や、冷静になって自分でコントロールする事の難しさが原因になって、このトラブルが起こっているのではないかと思うようになりました。


そして問題をややこしくしている部分が、多くのケースにおいて当の本人は他人を攻撃して困らせてやろうと狙っているわけではなく、ただ普通に暮らしていて自然にそうなってしまう無自覚な状況にあるという事。

当の本人にとっては、ただ「自分が自分らしく生きている」というだけで、他人を傷つけている自覚がないという事。

そして、悪意のない恐怖の感情を作り出す「基本的な思いの根っこ」はとても単純なもので、誰にでもある普通の感情だという事にも気付きました。

「自分の事を好きになってもらいたい」
「人から愛されたい」
「自分が得意な事をやって、誰かに褒められたい」
「夢や目標を持って、成功したい」


これらは誰しも一度は必ず思う事であり、ごく普通の事。でも、その感情が異常な膨らみかたをすることでトラブルを起こしてしているのではないか・・・と。

そして、とりわけ私の周囲においてはネット社会の進化(メディアの多様化)とサブカル市民権の拡大(各種○○ヲタが胸を張って道を歩ける時代)によって、これらの願望をかなえる場所が飛躍的に増えたという事が関係している事にも気付きました。

Blog・Twitter・pixiv・ニコニコ動画・同人誌・コスプレ・・・などなど、自分を発信するツールやWebサービスやイベントなどが注目され、誰もがスターになるチャンスを平等に与えられ、実際にそこからたくさんのスターや成功事例が出てきました。そんな華やかな話題の裏にある、カゲの問題にあたるのでしょうか。

これらの場所で「自分を発信したい気持ち、自分をアピールしたい気持ち」が異常に膨らんでしまったことで、双方の実力の有無にかかわらず(←ここ重要)過剰な自己愛を押し通して誰かを傷つけているケースがとても多い・・・という答えに辿り着きました。

いい歳して今更?気付くのが遅すぎただけなのかもしれませんが・・・。

Blog・Twitter・pixiv・動画サイト・同人誌・コスプレ・・・他にもフィギュアやメイド喫茶、カメラ系趣味などなど・・・複数の友達と話をしているうちに浮かび上がってきた、みんなの悩みの元になっている「共通の人物像」について。ここにざっくりまとめおきたいと思います。(※自分自身に対する該当項目を含みます)


-------------私および友人知人の悩みの元になっている共通の人物像---------------

【 1. 圧倒的な自己評価の高さ 】

・基本的に自分の事が一番好きで、自分はとても優秀な人間だと思っている。
・自分の脳内では常に自分が一番でなければならないため、とにかく嫉妬深い。
・褒められるのが大好き。常に賞賛を受けたいと思っている。

・その人への批判は受け付けない、もしくは批判を受け入れられない。(自分は正しく、批判を言った相手が間違っているという結論に毎度至る。)
・ファッションやグルメやガジェットなど、自分の知っている店&行きつけの店&商品こそが最良であり、異論は認めない。
・とにかく自分が勝ちたい&上にいたいので、その場にいる人のお気に入り店や商品を、たいして知りもせずに無条件で格下にみる。

・その人の話は基本的に「自分と身内の自慢話」および「他人の悪口」が中心。
・自分以外の誰かが評価されていると、横槍を入れて自分もしくは身内の自慢話で張り合ってくる。
・自分自身の自慢話で勝てない時は「自分の周囲にいるすごい友達」の話を引き合いに出してまでその場の相手と張り合う。そしてなぜか同等に自分が優秀な人物であるかのように振る舞う。

・同じように自分が一番だと思っている人が複数いると、一番の存在を巡ってつじつまが合わなくなるので、面倒なことになる。

【 2. 自分のために他人を利用する 】

・有名な人に取り入って、自分のために利用しようとする。
・有名な人に近付き、仲良くなった時点で「自分も同等に優秀な人物である」と思いあがり、自尊心が満たされる。

・無名な人には基本的にスルーだが、実はすごい人だとわかった瞬間から態度が急変して言い寄る。
・無名な人に興味はないが、自分に賞賛を送る人や、信者やフォロワーの数稼ぎのように「自分を演出するためのツール」として利用する。

・自分が有名な人に取り入り、さらに有名な人も飾りの人間が欲しいと、双方のメリットが共鳴するループになって自己愛がさらに膨らむ。
・有名な人に取り入ったが結局仲良くなれなかった時や、特に自分にメリットが無かった時は、嫉妬の対象になり手のひら返しの批判が始まる。

【 3. 周囲に対しての無自覚 】

・その人がヘソを曲げると全体の空気が壊れてしまうので、周囲は常にお世辞を言って表面上の空気を保っているが、本人はそんな気遣いを知る由もなく、お世辞を満足そうに受け取っている。
・実際は無能で口だけの人ならば即刻排除もできそうなのに、困ったことに中途半端な人気や実績を持つ人が多く、その「中途半端な実績」を盾にされると安易に否定もできず、周囲はしぶしぶ「中途半端な王様」に従うしかない状況に陥ってしまう。

・今まさに目の前にいた人が去った瞬間に、その人の悪口を言い始めて周囲の顔が真っ青になる。
・悪口を言う事で、自分がその人よりも上の立場にいるんだという思い込みを作り出し自尊心を満たそうとしている。
・表面上は仲良くしているはずが、結局は裏で吐いた悪口が言われた人の耳に入ってショックを与え、人間関係が崩れる。

・自己愛の踏み台にされた人が傷ついても、口が達者なので「悪いのは向こうだ」という事になり、自己中心的な態度に関して本人の反省や改善はない。むしろ「自分らしく生きている」とさえ思っている。

・自己愛の踏み台にされた人が傷つき泣き寝入りでコミュニティを去ったとしても、無自覚な行動ゆえ別の人が再び自己愛の踏み台にされるだけなので終わりがない。

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まとめてみると、私の周囲において「悩みの元になっている人」はこの条件を7割~8割満たしているケースがほとんどでした。心理学にはあまり詳しくないのですが、これらの症状が度を超えたレベルになると「自己愛性人格障害」「パーソナリティ障害」と言われる障害の一種にあたる人もいるそうです。

自己愛性人格障害 - Wikipedia

おそらく障害と言われるレベルの人はごく少数だと思いますが、これらの症状がポロポロと当てはまる人が想像以上に多いことに気付きました。当初の考えとは別件で何人かの顔が浮かび、過去のトラブルの原因がいくつか判明して自分でもびっくり。

正直、あてはまるという意味では自己表現の場に関わらず「後輩をいびるお局社員」「嫁をいびる鬼姑」も当てはまっていて「なんだか嫌な人だなぁと思っていたけれど、あれは自尊心を満たすための踏み台だったんだ・・・。」とまとめながら気付くこともありました。


そして、一番重要なことは、これでした。


まとめてみて気付いた、いくつかの項目に自分自身がドキッとさせられた事。


まとめられた項目を見て認識しなければいけないのは、これは「私が複数の人にされた事」であり、「友人たちが別の人たちからされた事」であり・・・

そして・・・


「もしかしたら私も誰かにやってしまったかもしれない」


・・・というリストでもあったという事です。


過去、とある人に「同じ事が何度も続くときは、まず自分を疑え」と言われた事があり、この言葉をたびたび思い出していました。ひょっとしたら、今回の件も当てはまっているのかもしれません。

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★ これだけ書いておいて自分の事を棚に上げるわけにはいかないので、加害者としての可能性を振り返ってみようと思います。

【 1. 圧倒的な自己評価の高さ 】に関しては・・・

私はコンプレックスの塊なので基本的に自信がない人です。理想として「優秀でありたい」「一番になってみたい」という願望はありますが、理想の自分と現実の自分のギャップに苦しんでいる感じです。

ただし、私自信が他人からの批判を受け入れず、自分を正当化していた事に関しては大いにあると思います。もしかしたら、誰かの会話の中で無意識にしゃしゃり出て、自分の自慢話をしていたかもしれません。

【 2. 自分のために他人を利用する 】に関しては・・・

これは私がコスプレイヤー時代にさんざん嫌な思いをさせられたので(バーター目的で近寄られ、手のひら返しされる)、なるべく必要以上に有名人に近づくのはやめようと配慮してきました。

けれど、ブログを始めてから自分の身分では恐れ多いほどの方々とお会いしたり、お友達になったりできたのは事実としてかなりあります。もしかしたら、中にはそう思われていた可能性も、あるかもしれません。

【 3. 周囲に対しての無自覚 】に関しては・・・

これは無自覚な話なので、自分ではどうだったか既に判断の領域を超えてしまいますがwwもしかしたら私も中途半端なキャリアを盾に「中途半端な王様」として周囲にお世辞を言わせて気をつかわせていたかもしれません・・・。

そして、「これはどう考えてもおかしい!」と思ったら批判が口をついて出てしまう性格なので、それらを含めて「悪口を言った」と捉えられたとしたら、たぶん山ほどあると思います。いえ、山ほど言いました。数えきれぬほど。

批判と中傷の境界線は受け取り方に個人差があるので特に難しいですね・・・。たとえ正論を言っただけだったとしても、言われる側は個人攻撃だと受け取ったり、取り巻きが騒いで擁護しようとする光景もたびたび目にします。難しい。

【 - 結果 - 】

どれをとっても「絶対にそんな事はしていない、私は潔白!」と言い切る事ができません。かといって、反省して「私、これからは明るくて優しくてポジティブな事しか言いません!」なんて宣言を軽々しく表明できるわけもなく・・・。

時として自分の信念を絶対に譲れない重要な場面というのは絶対にありますし、私自身「耳障りの良い綺麗な言葉しか言わない人は、悪口の対極でまとめて信用しない」という考えを持っているので、100%折れることは無理な気がします・・・。

結局、自分でそうした以上は責任を持って自分で背負っていかなければならない「負の部分」として、今後も向き合い続けなければならないのかもしれませんね・・・。

私の人間関係が複雑になってモヤモヤとこじれていったのは、私が誰かの自己愛の踏み台にされて傷ついた被害者の面と、私が誰かを傷つけた加害者の面がまだら模様になって複数の人の間をモヤモヤと漂っているのだと思います。

縁が切られているわけでもなく、仲良しに戻るわけでもなく、胸の内を語る事もなく、お互いの距離感を意識してモヤモヤ・・・モヤモヤ・・・。

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では、私はどうするべきなんだろう・・・と悩むわけなのですが、未熟な私には正直なところ、よくわかりません・・・。

お互い胸の内を語る場もなく、再び気になる人と何かの折に鉢合わせたらどう振る舞うべきか、今でも悩んだままです。単純に1対1の喧嘩なら早いうちに話し合いや謝罪もできそうですが、無自覚に時間をかけて複雑にこじれていった仲を、絡まった複数の人間で和解や修復をしていくのはかなり厳しいものがあります・・・。

とりあえず自分が感情を整理して向き合い、最終的に得たものは、今後の予防薬程度かもしれません。


[1.過信] [2.自信] [3.謙虚] [4.自信喪失] [5.自暴自棄]

この項目の中で、いま自分がどこに居るのか、いまどこに居るべきか、冷静になって自分でコントロールする事の重要性、そして、その難しさ。

自分が30代になって、これまでの事やこれから先の生き方を考えたり向きあったりしていく中で、この項目を頭に入れておかなければ・・・と、今回のエントリを書いてみて自分自身で思うようになりました。

そして、意図せず自己愛の踏み代されてしまう被害者の面に関しては、複数の友人と話をして、トラブルの相手が「自分を愛しすぎて無意識に傷つけてしまうパターンの人」なのか「それとは関係なく、何らかの理由で特定人物を故意に傷つけようとしているのか」その違いを見極めて、それぞれ距離の置きかたを考えるだけで、救われる人の数がずいぶん増えると言う事に気がつきました。

傷が深くなって通院したり入院したりする子も少なくないので・・・早い段階で気付けたらいいなと。


知識も経験も乏しい私自身の力では、何か確実で大きな答えを、今回この場で提示する事はできませんでした。ただ少しだけ自分が納得したり解決のヒントになるものを見つけることができた程度です。

たぶん、それが2011年末の私の精一杯で、このログが何年かして振り返るときの指標になるのだと思います・・・。その時のために、すぐに流れて消えるTwitterではなくストックとしてのブログに書いて残しておこうと思います。

あと50年くらい生きたら、自力で悟りを開けるんでしょうかね・・・。

もやっとした答えですみません。
 
 
それから、文句があるなら堂々と言えや!と言われてしまいそうですが、揉めた結果うっかり法廷まで話が発展してしまったりするのは本意ではありませんので、実際の個人名をここで書くような事はまず無いです、という事をここに記しておきたいと思います・・・。

もしも読んでドキッとしたなら、あなたの事かもしれない。その時に少し気付いてもらえれば幸い・・・ただそれだけです・・・。

 
私、いまちょっとばかし[5.自暴自棄]かもしれませんwやぶれかぶれw

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【追記】
あまりにも暗いので、真逆のはなしで私が好きな人達について別のエントリを書きました。

★私の中にある「性格の良い友人知人」について共通点を考えてみた
http://www.hinalog.com/blog/2011/12/my_friend.html

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このページは、nksmが2011年12月21日 15:19に書いたブログ記事です。

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